前回、名詞修飾節は写真を見せ合う場面だと自然に使える、という話を書きました。
その記事を出したあとのレッスンで、同じ第22課をやっていて、書かずにいられないことが起きました。今回はその話です。
『みんなの日本語』第22課の最後の「問題」のページに、こういう練習があります。
どこで撮りましたか。 → これはどこで撮った写真ですか。
左を右に言い換える。それだけの問題です。ところが英語話者の学生にとって、これがとても難しい。
英語にすると、形が消える
なぜ難しいのか、並べてみると見えてきます。
「どこで撮りましたか」は、英語でも普通に言えます。Where did you take this? で終わりです。
答えのほうも言えます。「これはウェールズのビーチで撮った写真です」は、This is a photo I took at a beach in Wales.
問題は、その答えを質問の形にしたときです。
これは[どこで撮った]写真ですか。
英語で同じ形を作ろうとすると、止まります。「どこで撮った」が「写真」を前から説明していて、その中に「どこ」という疑問詞が入っている。英語では、疑問詞を修飾節の中に置いたままにできません。
もちろん、英語でこの内容を聞けないわけではありません。Where was this photo taken? と言えば通じます。ただしそのとき、[名詞修飾節]写真 という構造は消えています。日本語のほうは最後まで「写真」で終わるのに、英語は「どこで」から始まってしまう。
つまり学生にとってこの練習は、訳して理解することができない問題です。頭の中で英語に置き換えながら日本語を組み立てている人ほど、行き止まりに突き当たります。
これは教える側にとっても厄介です。説明の言葉を尽くしても、受け皿がない。わたしは長いあいだ、英語にない形を英語で説明しようとしていたことになります。
先に答えのほうを出す
そこで、順番を変えました。質問文から入るのをやめて、先に答えになる文を使う場面を作ります。前回書いた、写真を見せ合うやり方です。
まず、わたしから見せました。
「これは去年バリで撮った写真です。」
次に、学生が自分の写真を見せてくれました。
「これはウェールズのビーチで撮った写真です。」
ここまでは、前回と同じ流れです。
教えるのを忘れた瞬間
ところが、その学生が見せてくれたウェールズの写真が、あまりにきれいでした!
青空と、海と、丘の上の小さな塔。
わたしは授業をしていることを忘れて、思わず口に出していました。
「これ、[どこで撮った]写真ですか? きれいですね!」
練習させようとして言ったのではありません。本当に知りたくて聞きました。
すると彼が答えました。
「ウェールズのビーチで撮った写真です。」
このやりとりのあとから、彼は「これは[どこで撮った]写真ですか」が分かり始めたようです。
説明していたときには届かなかったものが、わたしが教えるのをやめた瞬間に届いた。順番としては、答えの形を先に何度か使っていたことが効いているのだと思います。でも最後のひと押しになったのは、練習ではない、本物の質問でした。
教師がわざとらしく作った例文と、思わず出た言葉とでは、学生の受け取り方が違うのかもしれません。
彼のもう一つの言語
もうひとつ、面白いことがありました。
彼はイギリス生まれのイギリス育ちですが、家庭は中華系で、広東語も少し分かります。
わたしが「広東語なら、この語順で言えるんじゃないですか」と聞いてみたところ、彼は少し考えて、たしかにそうだ、と言いました。中国語も広東語も、修飾する部分を名詞の前に置きます。「どこで撮った写真」という並びが、そのまま成り立つ。
彼自身は、言われるまで気づいていませんでした。普段は英語で考えているからです。自分の中にすでにある構造なのに、それを日本語と結びつける発想がなかった。
これは、教える側が探しにいける手がかりだと思います。学習者の「一番よく使う言語」に対応する形がなくても、その人が持っている別の言語にはあるかもしれない。特に、家庭の言語と生活の言語が違う学習者には、聞いてみる価値があります。
台湾で教えていると、中国語話者にとって名詞修飾は難しくないことを毎日実感します。ところが同じ構造を持っているはずの人が、英語で考えているせいで気づかない、ということが起きる。
おわりに
英語にできない形は、英語で説明しても埋まりません。使われる場面を作って、そこで本物のやりとりをするしかない。そしてもし学習者が複数の言語を持っているなら、そちらに答えがあるかもしれない。
みなさんの学生さんには、どんな「もう一つの言語」がありますか。
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